先日、家族で公園に遊びにいったときのこと。
5月だったけど気温も高く日差しが強かったので、わたしは日傘を差していました。
5月がいちばん紫外線が強いっていうじゃないですか。
でも。。。
ほとんどのママが、日傘を差してなかったんですよ。
ギャルっぽいママも、小綺麗にしているママも。
帽子やアームカバーなどで日焼け防止はしているものの、日傘はなし。
比較的大規模な公園で、200家族くらいはいたと思います。
だけど日傘を指してるのはせいぜい10人程度といったところ。
え、みんな日焼けしてもいいの?
もう諦めてるの?
母親は日焼けを気にするより、子どもを優先するべき?
Googleで「公園 日傘」と検索してみました。
そうすると、
- 1歳ごろまで→ベビーカーを押すときにジャマだから差さない
- 5歳ごろまで→動き回る子どもに対応するために差さない
- 小学生くらい→見守り専門になったから差す
みたいな人が多かったです。
日傘ママには否定的な意見が多かったかな。
「公園では日傘は差さない」というのが暗黙の了解なんですね。
もし日傘が他の子どもに当たったら危ない、という安全面の理由もあると思います。
だけど、「本当は日傘を差したいのに、周りの目が気になって差せない」という人も案外多いんじゃないでしょうか。
実はわたし、1〜2年前までそうだったんです。
「よい母親」にならなきゃいけないと思ってたから。
世間一般的に、
「母親」とは、自分のことは後回しにして、持っているリソースすべてを子どもに捧げるもの
みたいな神格化された価値観・理想像があると思うんです。
聖母マリアのような。
自分の日焼けを気にするよりも、子どもと思いっきり遊んであげるべきだと。
日傘を差していて、もしものときにとっさに動けなければとんでもないと。
母親なのになぜ、子どもよりも美容を気にするんだと。
産後エクササイズに通っていたとき、インストラクターの女性が「公園で日傘を差している母親なんてありえない」と言っていたのを聞いてちょっと衝撃だった。
こういう考えのウラには、
「自分が不本意でも受け入れてきたことを、他人も同じようにするべき」
という価値観がある気がします。
「わたしは日焼けも気にせず子どもの相手をしてるんだから、他の人もそうするべき」ってこと。
そういう人たちは自分と違う行動を取る人に対して、「あの母親って…」と冷ややかな目で見ちゃうんですね。
そんな周りの目が気になって、日傘を差したくても差せないママも一定数いるんじゃないかと推測してます。
エゴイズムと責任感・義務感のギャップに苦しんでいた時期
わたし自身も、自分のことより子どもを最優先にするのがよい母親だと思ってました。
まだ独身だったころ、出産した友人が話していたことが印象的で。
子どもを産んだら自分のことはどうでもよくなった。
子どものものばかり買っちゃう!
へぇ〜あんなにオシャレが好きな子だったのに。
自分も出産したらそうなるのかな。
でも実際はぜんぜん違って。
わたしは子どもをふたり産んでも、自分のことがどうでもよくなるなんてことはありませんでした。
化粧品も服もほしい、おしゃれもしたい。
物欲まったく減らず…
子どもと遊ぶのはつまらない。それより趣味に時間を使いたい。
そもそも公園なんて行きたくないし、どうしても行く場合は日傘も差して完全防備したい。
だってアラフォーだし、紫外線浴びたらシミ・しわ・たるみ怖い。
自分のことばっかり考えちゃうんですよね。
たぶん普通の人よりも母性が欠けていて、自分大好きなんです。
そんな自分に自己嫌悪で。
子どもがいるのに、自分のことばかり優先してしまうなんて母親失格だと。
「そもそもわたしのような人間は親になるべきじゃなかった」
「いやいや、そんなことない。わたしはよい母親にならなければ」
とずーっと考えてました。
2〜3年くらい…
わたしがイメージしていた「よい母親像」とは、
- いつもニコニコ笑顔
- 子どもへの愛情にあふれている
- 献身的で世話好き
- 子どものためなら自己犠牲を惜しまない
わたしとはかけ離れた理想像です。
自分のことが一番大事、エゴで利己的な性格で母性がぽっかり欠けているのに、良き母にならなければという責任感だけはありました。
欠けている母性を、責任感と義務感でカバーしようとしてた。
だから1〜2年前まで、利己的なエゴイズムと子育てへの責任感・義務感のギャップで毎日苦しかった。
いつもいつもイライラして、全然幸せじゃなかったんです。
子どものために自分のすべてを捧げるつもりはない
1〜2年前のわたしなら、日傘を差したくても、周りからの目を気にして差せませんでした。
「ダメな母親」認定されるような気がして。
だけど今は、わたしはわたしが一番大事なんだというエゴな性格を受け入れています。
子どものために自分を犠牲にするようなことは、なるべくしたくない
自分のすべてを子どもに捧げなくてもいい
自分を優先してもいい
そう決めたら、すーっと心が軽くなったんですよね。
週末は夫に子どもを預けてひとりでお出かけするし、自分のために時間もお金も使います。
公園でも危険性がないかぎり日傘を差すし、夫がいっしょにいる場合はヒールだって履きます。
夫に子どもを追いかけてもらいます。
それが、わたしがわたしらしくいられる方法だから。
子どもを2人も産んでいるのにそれでもエゴな性格が変わらないって、相当自分の中に染み付いている性格だと思うんです。
だったらもうエゴイストな自分を受け入れるしかない。
それを受け入れてからは、他人の目はもう気にならなくなりましたね。
自分の思考と行動にギャップがないから、ストレスが少ないんです。
結局、自分の中のコップを満たしてからじゃないと、周りの人を満たすことはできない。
わたしにとって「理想の母親」を演じることは、自分のコップがカラカラに干上がっているのに、子どものコップに水を注いであげるようなもの。
一般的な母親像ってそういうイメージですよね。
いや、わたしだって実生活の中では、子どもが喉が渇いたと言えば自分はガマンしてでも子どもに飲み物を与えますよ。
でもここではメンタル面や幸福感の話。
わたし自身の仕事や趣味がある程度充実して満たされていて、初めて子どものコップに水を注ぐことができる。
わたしは子どものために自己犠牲や献身を惜しまない「理想の母親」にはなれません。
だけど自分が満たされていれば夫や子どもに優しくできるので、安心できる家庭を作ることはできるんじゃないか。
自分がゴキゲンでいることが、子どもを幸せにすることにつながると信じてます。
自分のエゴイズムに罪悪感を持たなくなった。
なぜこんな話をしたかというと、わたしのような母親って他にもいるんじゃないかと思ったから。
だって、母親全員が母性にあふれていて献身的な人ばかりじゃない。
でもこういうモヤモヤって友達にも話しにくくて、わたしも限られた人にしか心の中を打ち明けられません。
だから誰にも話せずに悩んでいる人もいるんじゃないかなと。
そんな人と、心の中を共有できたらいいなと思って書きました。